本当に良い作品とは

 「この世界の片隅に」、「聲の形」。娘が異常に推してくるこの2本のアニメ映画。もちろんいずれは見たいとは思っているのだが明日すぐに映画観に行けと言われても現代人は忙しすぎて、なかなかそのようなフットワークの軽さはない。

 この2作のどこがそんなに素晴らしいのか?それは、同じアニメ映画の「君の名は」と同様。制作にに携わる人たちのこだわりがどれだけ実現されているか、妥協をせずに作り込んでいるかが素晴らしさに直結しているのである。「君の名は」は映画館で鑑賞した。あまり期待せずに観たが、作画はもちろん、脚本、声優の演技などが素晴らしく。細部にわたってこだわり抜いて作られている。

 作品のクオリティーの差に関係なく、作品中に妥協やご都合主義が見えるものはよろしくない。最近の作品で言うと、実写版の「四月は君の嘘」。演者、スタッフ全ての関係者が気合を入れて作っていることは伝わるが、一番力を入れた演奏シーンに妥協が見られる。これは仕方ないところで、天才ピアニストと天才バイオリニストを今はやりの役者を起用して描くとなると、その役者にそこまで高度な技術を習得することを強制することはできず、結果、役者の出来る範囲で努力しました的なものを公開することになってしまう。仕方のないことではあるが、そうした妥協したシーンを見ると興ざめしてしまうものである。

 映像作品や芝居、音楽など、 人に見せるためのパフォーマンスは決して茶番であってはいけない。学芸会などで、演出がなっていない芝居、面白くないコント、下手な演奏を見せられるときほど苦痛なものはない。商業ベースで作られているドラマ、映画、バラエティなどにも学芸会ほどひどくはないが茶番が見られる時がある。私の中で、そう言う作品はすぐに駄作であると分類されてしまう。

 また、作品のクオリティーの高さと観客の支持は比例しない。宇多田ヒカルの歌を中途半端な出来栄えで歌うよりも森のクマさんを完璧な演出でパフォーマンスする方が観客は楽しいものである。

 ちなみに、ドラマの世界観をその演技力の高さによってリアルにしてくれる役者がいる。神木隆之介沢尻エリカ伊藤淳史などである。彼らは役になりきることによってドラマを現実に存在するかのように感じさせてくれる稀有な存在である。少々作り込みの甘い作品でも彼らが出演することによってその難点を打ち消してしまう場合も少なくない。

 良い作品かそうでないかは、そのような基準で決まる。少しでも冷めるような場面があると駄作であり、逆に一切冷めることなくのめり込めるものは良作である。ドラマなどは全て虚構であるのは周知の事実であるが、その虚構の世界をあたかも実在するかのような感じ、その世界観に包まれて違和感を感じないもの、それが真の良作である。

  

 

音楽について。上昇途中の高揚感1(嵐の場合)

 音楽が好き。一言ではあるが、その言葉は奥深い。何故ならば周知の通り音楽には幅広いジャンルがある。その中から自分が好きなものを選択していく。

 音楽にははっきりとした好みがある。人それぞれの感性や嗜好性がダイレクトに反映される。

 私は嵐ファンである。嵐がイケメンだからとかでファンになったわけではない。彼らの作品の音楽性に惹かれたのだ。所詮ジャニーズのアイドルと侮るなかれ。彼らの作品はかなり実力のあるクリエーターが最新の技術を駆使して仕上げていると思われる。

 昔の話ではあるが、松田聖子のアルバムが、他のアイドルと比べて抜きん出たクオリティーに仕上げられているのは優秀なクリエーターが携わっていたのだと思う。当時他のアイドルのアルバムは酷いものだった。

 嵐は1999年ハワイで船上記者会見をするなど華々しいデビューを飾ったがその後冬の時代を迎える。当時のジャニーズアイドルがみんなそうであったように、そこそこのクオリティーの作品を与えらえれ、その場を笑顔で乗り切っていく。個性とスター性をいかに発揮できるかで勝負し特定のアイドルファンに支えられ、そこそこに活躍する。

 彼らの転機は2001年。レコード会社の移籍である。J Storm は嵐のために作られたレコード会社である。これが彼らの成功に繋がった。そこで行われたことは、クオリティーの追求である。普通アイドルは個々の能力の限界により高いスキルを身につけること、目指すことすら難しい場合が多々あったが嵐は違った。

 元々歌もダンスも優れた才能を持つ大野智は言うまでもなく、何をやって勘感が良くハイスペックなパフォーマンスができる二宮和也。弛まぬ努力と向上心により嵐を上へ上へと引き上げていく松本潤。類い稀なる身体能力を持ちどんな課題もその身体能力でこなしていく相葉雅紀。常に冷静で計算し物事を推し進める嵐の頭脳櫻井翔

 5人それぞれに能力や役割は違えど共通することは素直さである。彼らはおしなべて謙虚である。己の価値観をごり押しすることなく周りの意見や、考えを巧みに受け入れていく。昔は本人のこだわりや価値観を前面に押し出さなければスターではないと言った風潮があったが、現在は協調性があり共感される人が世の中に認められるようになった。時代が嵐に追いついたのである。

 私が嵐に心酔することとなるのはレコード会社移籍からまだ数年かかる。彼らは10周年を機にベスト盤をリリースしそれがミリオンセラーとなる。2008年にリリースした「truth」を筆頭に、「believe」や「beautiful days」など、彼らの音楽性の高さが評価され始めていたこともあり、嵐のベストアルバムは聞き応えのある作品らしいとの評判が立っていたことが爆発的なヒットに繋がったのである。

 それまでの彼らは常に努力をし続けている人たちであった。彼らの場合努力とは与えられたものをこなし続けると言う形であったが、それをやり続ける素直さを持ち合わせる人達は珍しい。特に、世間からチヤホヤされるアイドルにおいては、なかなかそのようなことは稀である。デビュー当時からのアルバムを順番に聞いていくと2006年あたりから彼らの歌唱力は飛躍的に高くなっている。当時歌が下手であることが常態化していたジャニーズアイドルには珍しいことだ。彼らはひたすら与えられたものを高いクオリティーでクリアしていくことに専念し続けた結果、自然と高いスキルを身につけていくこととなった。

 そしていよいよ彼らが私の中に落ちてきた。私が彼らの魅力を知った時彼らは大ブレイクの寸前にあり、キラキラとした輝きを眩しいくらいに放っていた。ブレイク寸前のアーティストは一種異様な輝きを放つ、その輝きに魅了され私は彼らに心酔していった。

 あれから7年。押しも押されもせず国民的スターとなった彼らは、今もなお謙虚なままである。そして今でもスキルを磨き続けている。驚くべきことに彼らの歌はデビューから18年目の今でも日々上手くなり続けている。